みんなで決めるが必ずしもみんなの幸せにならない
「伊藤洋一のRound Up World Now!」のポットキャストを聞いている。
前回BREXIT(イギリスのEU離脱)の話をしていて、
なぜこんなことになったのか?について、言及があった。
伊藤さんの解説によると「こんな複雑な問題を国民投票で決めたから」で、
国民投票が成功した例としてイタリアの原発反対をあげていた。
この解説に、妙に納得した。
どういうものを、みんなで決めるべきなのか?
複雑な話を大勢で決める場合に、収集がつかなくなった経験がある。
普通の仕事でも複雑な話こそ、みんなで話そうとしがちだ。
自分もしくは他の人が以下の状態になることが多い。
– 議論についてこれず途中で投げ出す人
– 基本的な質問をして意思決定を遅らせる人
– 自分の立場での利益だけを主張する人
その結果、スピード感が失われ、全体として最適な決定ができなくなる。
ちょっとした学級崩壊のような状態になる。
最大の問題点は、みんなのどうありたいか?というみんなの幸せの状態が、人それぞれで違うだと思う。
だから、1つに統一案を賛成してもらうのは難しい。
逆に、みんなの不幸はだいたい共通していて、例えば、満員列車は嫌だとか、渋滞は嫌だとか、空気が汚いのは嫌だとか、合意は得やすいと思う。
みんなで決めるべきでないものはどうするか?
どうありたいか?はすごいリーダーがビジョンを示し、浸透させ、導くという場合は上手くいきそう。
でも、それって現実的?
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ストレスフリー
うつ病の子育て中の金融系システムエンジニアです。
名もなき家事、目的のない仕事、見えない不自由、チリツモストレスを見つけ出して、設備投資、システム化、見える化により、解決します。
習い事で、ドラムをしていました。
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